日本語教師とか向いてないかも?でも資格は目指してみたい!

私はこれまでの人生で海外の人と関わることが多かった割には、日本語教師になりたいと思ったことがありませんでした。しかし日本語教師になるための資格は取っておいた方が、自分の人生においては今後プラスになるかもしれないと感じたことは多々あるんです。教師を目指すのと資格を取ることは今のところは別のこととして考えているのですが、ではなぜそう思うようになったのか、その経緯をご紹介したいと思います。

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日本語教師にむいてないかもと思っていた理由

いつものメキシコ話から始まりますので、こちらはさらっと流していただければと。

メキシコ生活時代にこんなことがありました。

メキシコ人の友人にスペイン語を教えてもらう代わりに日本語を教えていました。その友人は本当に一生懸命日本語を覚えようとしていて、読み書きというよりは会話を中心にやりたいらしく、何かをしゃべってみては「Bien dicho? Siiiiiii verdad? (うまく言えた?でしょ〜??)」って自信ありげに聞いてきます。

で、何かを日本語でしゃべった後にその「Siiii verdad?」って部分だけを日本語で「ハ〜ィ!」って言っちゃうから、それがなんだかサザエさんに出てくるタラちゃんそっくりでカワイイので、日本語だとニュアンス違うんだけどなぁ〜と思いつつもそうじゃないと言えずにいる自分。

例えば「お腹減った」の一言にしても「私はお腹が減っています」と丁寧な言葉で教えるべきか、でも普段そんな言い方する人いないよな。。。じゃあ「あぁ〜お腹ペコペコ」ってお腹さすりながら会話風に言うべきか。それとも男の子なので「あぁー腹へった。」とか言っちゃっていいものなのか。

うーーむ。。。

いろいろ教えちゃうと相手も混乱しちゃっうだろうな〜なんて思うと、いつもう〜ん、う〜んって考えこんでしまうのです。(悩みすぎて次の質問をされていることもしばしば)

そんな感じで、あっこれはもう私、先生という職業には向いてないなと思ったのです。

それに何よりもまず、私は人前で何かを話すのがとても苦手。なのでその時点で教師という職業は向いていないなと思っていました。

日本語教師になるには教えるための知識が必要だと気づいた

しかしですね、先ほどの続きなんですが、会話風や男の子風な言い方は時と場合を選ばないと使えないし、やはり教えるならちゃんと丁寧に教えるべきなんですよね。と。早くも自己解決してしまったわけです(笑)というか、当たり前のことに気付いたのです。

日本語って意外と表現が多くて難しいんですね。

スペイン語だったら「お腹へった」は「Tengo hambre!」だけで済んじゃうのに。

そう思うとなおさら、日本語教師になるには教えるための知識が必要なんだと気づいたのです。日本人だからって日本語を簡単に教えるのは実は難しいことなんだなと。

でも私は日本語教師になりたいとは思っていなかったので、メキシコ時代はそのままさらっと終わってしまいました。

日本語教師の資格にチャレンジしたいかもと思ったきっかけ

私はメキシコ生活を終えてからも、海外で何かしたいという気持ちは常に持っていました。それは何かわからないけど、年齢を重ねるにつれて「何か人の役に立ちたい」と思うようになってきたのは確かです。

そこで人の役に立つといえばボランティア!海外でボランティアといえばJICAの派遣隊員!そんな単純な考えは常に頭にありました。

しかし年齢的にももう「青年」という枠で応募するのは不可能で、私の場合シニアボランティアになってしまいます。シニアボランティアというのは、これまでの社会人生活で培ってきた技術や知識を途上国発展のために役立てたいというベテランのかたのボランティアという傾向が強いです。

社会人生活で人に何か教えられるほどの技術も知識も得てこなかった私には、やはり選べるのは今からでも頑張ればなれるかもしれない日本語教師という道しかないんですよね。そこで応募条件にもある、日本語教師の資格の必要性を感じるようになったのです。

でも絶対にJICAの隊員になりたい!という気持ちが今あるわけではありません。資格さえ持っていれば、応募したいと思った時に役にたつと思ったのです。

資格を取って南米へ行きたい!

海外ボランティアの話は、あくまで日本語教師の資格を持っていた方がいいかもって思ったはじめのきっかけにすぎません。資格を取りたいとさらに輪をかけて思うようになった理由はもっと個人的なところにありました。

私はこのブログでもペルーのことについてよく書いていますが、ペルーが好きなんです。理由はよくわからないですが、ただ一つ言えるのは縁のある国だと思っています。

しかしペルーはメキシコのように日本人が簡単に働けるような求人が多いわけでもなく、自分のようにプロフェッショナルな知識やタレントのない人がいきなり住みたいからと飛び込んで行っても、何も職に就けずに路頭に迷ってしまうだけです。

そこでペルー人の友人がアドバイスしてくれたのが、ペルーには日本語を勉強したい人がたくさんいるから、資格を持っていれば向こうで教えられるし、きっと何かしらの仕事に繋がる。というものでした。

この一言が常に私の心に宿るようになったのです。

新しいことを始めるには、受け入れる準備が必要

このようなきっかけで、私の中ではここまで気づいているならもう勉強を始めちゃえば?という段階にきています。依然、教師になりたいという気持ちは薄いものの、資格だけは取っておきたいという気持ちは大きくなってきている状態です(教師をやりたいという気持ちは後からついてくるものなのではないかと…)。

しかし今の私の生活はあれこりやりすぎて時間があまりありません。これは単なる言い訳でしかないのは百も承知です。なので何かを始めるには、新しいことを受け入れるスペース(時間)をつくらなくてはいけない。つまり今の生活の中の何かを犠牲にしなくてはならない。まずはここからなんです。

断捨離みたいなものですね。

他にも時間を費やしてやりたいことがあるので、どちらにせよ時間づくりはしないといけなさそうです。

断捨離は好きなので少し動いてみようかな。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。